メーカー・業界情報

ぺんてる茨城工場の紹介!~毎日小学生新聞~

ぺんてると言えば、クレヨン、水性ペン、筆ペンのイメージが強く、その売り上げも6割以上が海外ということもあり、世界120か国以上で文房具を販売している日本が誇るメーカーです。

2019年11月17日の毎日小学生新聞で、ぺんてるの茨城工場が紹介されていました。
ぺんてるの歴史と併せてその内容を紹介していきます。

当サイトでも”ぺんてる”の商品は紹介させていただいていますが、中でもボールPentelとプラマンは私は愛用しています。

どんな商品か気になる!という方は、プラマンの記事を書いています。
≫≫≫コチラをどうぞ。

ボールPentelはもプラマンも水性インクを使用した商品です。
そう、ぺんてるは水性ペンが強い会社ということが、
今回の茨城工場の紹介からもお分かりになるかと思います。

Pentelの歴史 ざっくり紹介!

歴史

ぺんてるは、1946年(昭和21年)に大日本文具株式会社として設立されました。
この時に埼玉県の草加工場を設立し、「にぎり墨」の発売からスタートしました。

にぎり墨って?と思った方がいるかもしれませんが、書道の際に使用する固形の墨をイメージしてもらえればと思います。

「にぎり墨」自体は室町時代からある伝統工芸で、生産量の95%は奈良県となります。

その後、オイルパス「ぺんてる」「絵の具」「くれよん」を発売しています。

1960年(昭和35年)になると画期的な商品を発売しています!
世界初!芯を削る必要のない細新内蔵のノック式シャープペンシル「ぺんてる鉛筆(0.9mm)」「ぺんてるシャープ(0.5/0.7mm)」を発売しています。

続けて”ぺんてる”の現在の特徴の1つにもなっている、筆のように書けて裏映りしない水性サインペンの元祖「ぺんてるサインペン」が発売されています。

この頃になると、水性インキを活かしたボールペンを発売しています。茨城工場が設立されたのも、ちょうどこの頃1964年(昭和39年)です。社名も現在の”ぺんてる株式会社”となりました。

後に、「ボールPentel」「ぺんてる筆」、更には当時ハケ式が主流だった修正液から世界で初めてペンタッチ式の「ぺんてる修正液」を開発しています。

「ぺんてる」名前の由来

歴史の中でもでてきましたが、オイルパステル「ぺんてる」が発売され、当時の商品名が有名になり、会社の名前になっています。

商品名の「ぺんてる」はペインティング(塗る)の”ペン”とパステルの”テル”を合わせた名称です。

「ぺんてる株式会社」の名前の由来は商品名からできた社名なのです。

≫≫≫ぺんてる沿革

茨城工場

ぺんてるの茨城と吉川工場は、文具業界で初めてISO9001の取得をしています。この工場で製造されている商品は、サインペンや絵の具のほか、クレヨン、ボールペン、消しゴムなどもつくられています。

工場は、埼玉県2工場(草加、吉川)の他にも、フランス、インド、メキシコ、ブラジルなどの海外にもあります。
≫≫≫ぺんてる国内海外事業所

茨城工場扱っている絵の具の色は機械測定と人の目で管理し続け、その色は何十年もほとんど変わっていないとのことです。

絵の具のように、材料比率が高く直接商品に影響しやすい商品こそ、環境問題による使用材料の制限や価格変動に左右されやすいものですが、そのような環境変化にも対応するこのは当たり前のようで難しいことです。

紹介する記事には、ヒントのようなものも隠れていそうです。
早速、記事をみていきましょう!

絵の具、確かに昔は金属チューブでしたよね!
押し出すのに優れていましたが、角から破れて固まってしまったりした経験があるのではないでしょうか?

環境変化による価格対応と共に、破れてしまうという点に関する品質も向上した背景が見受けられます。


製造工程では、ローラーでの磨り潰す工程にノウハウがありそうですね。
そして、検査の方法にもノウハウがありそうです。

サインペンの製造工程についても記事になっていました。新聞の写真や説明からは、インクの充填方法はペンホルダーに中綿を装着してからしていることがわかります。そして、この工場では、修正液やゆび絵の具、カラーペンも製造していることがわかりますね。

 

まとめ

ぺんてるの歴史を振り返りながら、毎日小学生新聞に掲載されている情報を掲載してきました。子供向けの新聞といえども、面白い情報が多く見られました。この先のぺんてるの商品が更に楽しみです。

≫≫≫トップページに戻る